Stella,Gladius et Angelus

奈落の花溜まり

 とある、東の海に浮かぶ小さな島。
休日ということもあり、酒場は昼間から活気に満ちている。
その島の上にもこもことした積雲がかかっていた。


──────


「ふっふっふー! シルさんにまっかせなさいっ!」
 酒場の女主人である育ての母に手伝いを申し出て、「じゃあこれをおじさんに持っていってくれるかい?」という言葉に自信満々に胸を張る幼女の名前はシルドゥアーネ。今年六歳の幼子おさなごである。
母から半ば捨てられたような身の上のシルドゥアーネを引き取り我が子同然に可愛がり、育ててくれた養母キトリの店で、せっせと手伝うなどして日々を過ごしている。まだまだ小さなシルドゥアーネは常連さんに可愛がられ、時折ひやひやさせながらすくすくと育っていた。
 今日もまたちびっこい身体をちょこまかと動かして食器を運ぶ。とはいっても両手に常連客の皿を一枚だけ。
慎重に小さな歩幅で歩くシルドゥアーネはゆっくりとカウンターから離れた出入り口近くの席へとたどり着く。
座っているのは現在50に差しかかったばかりの常連。娘が嫁いでいって寂しいんだとかで、シルドゥアーネを可愛がっている。
 そのため、シルドゥアーネがゆっくりと運んでもほほえましく見守ってくれていた。

───そんな時。
 しゃりりん、と鈴が鳴った。
新しく客が来店したのだ。
シルドゥアーネは背伸びしてそろり、そろりとお皿を机に移している最中だっため、目線を向けることなく「いらっしゃいませー」と口上を述べる。奥でキトリも同じ口上を述べていた。
キトリが「お客さん、少し待ってくださいね」と言っているにも関わらず客はじっとしていないようで客の足音が店内の喧騒にのまれながらも鳴る。木の床が軋む音が大きい。そこそこの体格の持ち主なのだろう。
 シルドゥアーネの小さな体躯に大きな影が重なる。椅子に腰掛けた常連のおじさんの顔が強張った。ふしぎに思いながらも目の前の仕事にいっぱいいっぱいのシルドゥアーネは「ご注文はこちらでおまちがえないですかぁ?」と尋ねる。……返答はない。おじさんは身体を反らして固まっている。
 見張られたその瞳はまるで熊に遭った人間が逸らさぬように、と気を保っているようである。青ざめた顔。
「うーん……?」
 ふしぎだなあ、とシルドゥアーネは思う。いつもはこんなことないのに。
どうしたものかと困りながら再度声をかけようと口を開くと後ろから重々しい声が射した。
「なあ」
「はあい?」
 どこから声をかけられたのかわからなかったシルドゥアーネはきょろきょろと声の主を探した。
まるっこい頭が動く。
「……お前、シルドゥアーネか!」
「はぁい、シルさんで……」
 いやに切羽詰まった声で後ろから名を呼ばれて、声の主の居所を知り振り返る。その先にあるのは……
「なにこれ……ファンシー?」
 ピンクのモフモフ。次いで視線をそらすと割れた腹筋。
シルドゥアーネの視界を埋め尽くしたまっピンクにあれれー?と首をかしげながら見上げる。随分と背の高い人物のようで少し頭を上げただけではせいぜい上半身しか見えない。ほぼ真上を見上げてやっとその顔を視界に収められる。そこそこ高い天井の造りであるこの店で、背を曲げているにも関わらずその人物の頭は電球すれすれだ。……首がいたい。
視界に写るのは遥か頭上、愉快そうな三日月型の口から覗く一面の歯に尖った形のサングラス。
その姿に悪そうなお顔ー、と思って痛んだ首を正面へ戻す。そうしたら再度視界をピンク色が覆う。
ぱっとシルドゥアーネは顔を輝かす。
シルドゥアーネに悪そうな顔と評された大男は「ん?」とにやにやした笑みを崩さず首をかしげた。──何だ?
次の瞬間、声があがった。
「ピンクだーっ!キトリさん!キトリさん!」
「そうだねえ、ピンクだねぇ」
 店の奥へと嬉々として報告する。
奥から出てきた女が養い子を宥めながらじりじりと距離を測るように客に近づいてきた。大男へ不愉快そうな視線を寄越す。
明らかに客に向ける顔ではない。尋常ではない養母の様子にシルドゥアーネは(どうかしたのかな?)と不思議に思う。忌々しげに口が開かれた。
「あんたは……」
「俺の名はドンキホーテ・ドフラミンゴ。こいつの父親の兄で……」
「何を言う!」
にやけ面の大男の名乗りを遮るように女が声を上げた。大男の顔からにやけた笑みが消えた。
目をキッと吊り上げて、「この子の父親は海兵だよ! 海賊なんかじゃないのよ! この子の母親が言っていたんだから間違いない!」とキトリが続けるとドフラミンゴの顔はどんどん曇り、険しくなっていく。
「海賊?」とシルドゥアーネは首をかしげた。
「ねえおじさん」
ドフラミンゴの足元できょとんとしていたシルドゥアーネが口を開いた。
「うん?」
「ごきげんわるい?」
「フフッ……いいや、そんなことはない。せっかくお前に会えたんだ。そんな良き日になぜ機嫌を損ねる? なあ、我が家族(ファミリー)?」
凶悪な見た目に反して優しげな動作で幼児(おさなご)の頭に手を乗せる男。その手が幼女の首へと回り、そこにある華奢な銀の鎖を指の腹で撫ぜた。
───とうてい信じられることではない。
目の前の厳つい大男と、のほほんとした小さな幼女。彼らを結びつけるものなんて精々その黄金の髪くらいである。
けれど、幼女の首に下げられた名と目の前の男の名に共通する言葉。そして、男の名乗りが事実なら男は───
「違うよ」
一同が気まずい沈黙に包まれるなか、それを破ったのは無邪気な声だった。ドフラミンゴの口から怪訝な声が漏れる。
「あ?」
「シルとおじさんは家族じゃないよ! シルの家族はね、いないんだよ! ママとパパだけだったんだけど、死んじゃった? らしいもん! だからね、おじさんは家族じゃないよ。あ、でもキトリさんはかぞくぅ?」
最後の言葉は振り向いた先にいる女──キトリにかけられていた。一瞬険しくなったドフラミンゴの表情が軟化する。家族はいないというシルドゥアーネの言葉といやに真剣な「おじさんは家族じゃないよ」によって。
「……いいや、家族だ」
「えー……?」
シルドゥアーネは不可解そうに首を傾げた。尖った口の下唇を噛んだあと「まっいいかぁ」と顔を戻す。
───ドフラミンゴの真剣な色を灯す瞳がゆらゆら揺れていて、食い下がることはできなかったのだ。
「ではシルドゥアーネ」
「なあに?おじさん」
「おれと……家族と共に暮らそう」
「えーやだよ」
「……なぜだ?」
主張を聞こうとでもいうようにドフラミンゴが目線を合わせる。けれど、シルドゥアーネはなんと答えても自分の要望は通らない気がしてムッとした。 ちゃんと愛され、守られてきたのだろうことがわかるふくふくとした林檎のほっぺが膨らんだ。
「あのね、シルさんはキトリさんと一緒に住んでるの! シルさんの保護者はキトリさんなの! それに……」
「それに?」
「キトリさんは……ママを知ってるもん……」
ぎゅう、と胸元を握りしめてぽつんとシルドゥアーネは言った。その様子にドフラミンゴはピクリと眉間を動かす。「なるほど、俺が海賊だとあいつから聞いたのか」とボソリとこぼした。
「俺も知ってるぞ」
「え? ほんと」
「ああ、何しろお前が産まれたとき立ち会ったのは俺だからなぁ」
「シルさんが産まれたときぃ?」
の言葉に興味が湧いたのかシルドゥアーネは目をキラキラとさせた。「ほんと?ほんとに?ママの話聞かせて!」と。その様子にドフラミンゴは「フッ」と哄笑する。

「ああ、もちろんだとも!!……その代わり」
「そのかわり?」
「ウチに来い」
「……へ?」
「フッ」
さっき断ったのに。
言っていることが理解できないとありありと伝えてくる瞳にドフラミンゴは酷く愉快になって、笑う。
その愉快な気持ちは先ほどまで黙っていた、シルドゥアーネの育ての親であるキトリさんと呼ばれる人物によって水を差された。
「馬鹿言ってんじゃないよ! この子のことはこの子の母親に頼まれていたんだ!」
怒りより先に、あの女が……?と訝しんだドフラミンゴを他所に、その言葉は随分とシルドゥアーネの胸を打ったようであった。
───シルドゥアーネの脳内にあの小屋での記憶が呼び戻される。
「キトリさん…? たのまれたってどういうこと? シルさんは……シルドゥアーネはすてられたんじゃないの? いらなくなったから、ママはシルさんのこと……」
「そんな訳ない……。誤解させたまま放っておいたのは悪かったと思ってる。……だが、そんなこと言わないで」
「……じゃあ、どうして……ママは……」
「……こいつのせいだ…!」
「フフフ、どういう意味だァ?」
憎々しげにめつけられたドフラミンゴは本気でさっぱり理由が分からず肩をすくめながら尋ねた。
「一緒にいたらいつかこの子を奪われるかもしれない。……もしかしたら殺されるかもしれないからって……! この子に親が死ぬところなんて見せたくないって言ってたんだよ!あんたが七武海入りしたって知ったときにね!」
「うばわ……しぬ??」
何のことだか分からないといった様子で首を傾げて混乱する頭を抱えたシルドゥアーネに対しての視線は冷たくなる。その言葉に動揺したのか、静まり返っていた店内にざわめきが戻ってきた。
「今はっきりわかったよ、アンタのことだったんだね!あの人のことはどうしたんだ?まさか殺したのか!?」
「うんー??どういうことー??」
「さあなァ、だが少なくともこいつの目の前でする話じゃねェだろ」
ぐるぐると目を回し始めたシルドゥアーネにキトリはくっと歯を噛み締める。
「だが、そうか。アイツはコイツに会ったら俺が連れて帰ると思っていたんだなァ!」
まあ、当たっているが。
奪って、連れ帰って、そして。あの女を殺すと思っていたのだろうか。
もしかしたらという言葉は女の死か、それともこの子供の死か。
笑みを消した表情で考え込み、顎を擦る。そして、閃いた。
「……フッフッフッ」
「なによ……?」
「なあ、選ばせてやるよ。おとなしくコイツを俺に渡すか、それとも町の人間全員が死んだうえでコイツを俺が連れて行くか」
「なっ……!」
少しの間、時が止まった。
さて、どうする?答えなんて決まっているであろうとドフラミンゴは高みの見物を決め込む。すぐに掌に転がり落ちてくるだろう、姪のことを思うと酷く愉快だ。
「キ、キトリさん!一度冷静になってくれ!」
絶句するキトリに店内の人間が詰め寄る。我が身がかわいいのだろう、そろりそろりと店から抜け出すものもいた。知って見逃す。鳥籠さえ発動させれば何の意味もないからだ。「シルちゃんのことはかわいそうに思うが……な!?」冷や汗を浮かべる男にキトリの表情は引きつった。「相手は海賊……それも七武海だ。俺らじゃどうにもならねぇよ……!」「見逃してもらえるならありがたいじゃないか……」
やはり、下々民は愚かで醜い。軽蔑の困った瞳を細めたドフラミンゴをつんつんとつつく手が。
「ねえ、おじさん」
混乱からなんとか抜け出したシルドゥアーネの手である。
またもや店内に静寂が訪れる。固唾をのんで店中の誰もが見守っている。
「おじさんは、キトリさんたちをころしたいの? なんで?」
じっとこちらを見つめる赤い瞳はドフラミンゴにイヤな記憶を呼び起こさせる。
「……」
黙りこんだドフラミンゴにシルドゥアーネはさらに問いかける。
「わたすってなにを?こいつってなんのこと?」
自分を巡っての争いとは思い至らないのかこてんと倒れた首を黙ったままドフラミンゴはちょいと直す。
鈍い。そのどこかずれたところは父親譲りか。
「お前のことだ、シルドゥアーネ」
「シルさん〜……?」
え、私?と言いたげに、人差し指を自分へ向ける。そんなシルドゥアーネの瞳に困惑の色が浮かぶ。大きな瞳はきょとりと丸められ、眉は八の字を描いてしまった。


大人達の言い合いに困惑していたシルドゥアーネか声を張った。
「あのね、キトリさん。シルさん行くよ。きょうみあるもん、ママたちのこと」
息を呑んだキトリが慌てて声をあげようとする。それをドフラミンゴが手を挙げて制止した。
「だから……」
だからと震えた声で言い募る。伏せられた瞳はぎゅっとキツく結ばれて。
「だから、すてないで。シルドゥアーネのこと」
いたいたしい声音だった。細い声で捨てないでと乞う姿にキトリは先ほど養子が、ママにシルドゥアーネはすてられたんじゃないの?!と悲痛な声を上げていたことを思いだす。
そうだ。ずっと泣いていたのだ。
母親に捨てられたのではないかと、愛された記憶があるからこそ余計に辛く。ずっとずっと、毎日毎晩。目覚めたらキトリすら消えるのではないかと、眠れないと泣いていたのを知っていた。
二度と会えないと告げた娘の母の手前、下手な希望を持たせまいと何も言わなかったけれど。それは間違いだったのではないかと思わせた。
決定的な言葉に怯えるかわいいむすめに。これから起こることを予測しながらキトリは言葉を紡いだ。
「ああ、わかった。お前がどうしても行きたいと言うなら止めはしないさ」
瞳が哀に崩れる。シルドゥアーネは唇を震わせた。
うつむいて黙りこくったシルドゥアーネに焦れたドフラミンゴが近づく。頭に手をのせ、撫でる。
「お前は、おれと来たいのか?」
───なあ?シリー
ドフラミンゴの甘い声にシルドゥアーネは目を見開いた。
ばっと振り向く。覚悟を決めた瞳でじっとドーナッツのサングラスの奥を見つめる。見透かすような瞳。
「うん、シルさんはおじさんと一緒に行くよ」
「フフフそうか!」
上機嫌にドフラミンゴは笑った。嗤った。

──────

「なにか持っていきたい物はあるか?」
「……ぬいぐるみ」
暫しの黙考の末、シルドゥアーネは答えた。
「そうか、では待っていてやるから荷物を纏めてこい」
「……うん」
歌うような口調の喜色に満ちた声に従い、大人しく奥へ足を向けたシルドゥアーネの後ろを顔を歪めたキトリがついていく。
「おい」
「なんだい?」
「少し話がしたいんだが」
「……あたしにあんたとする話はないよ」
「どうしてもしたいなら店の電伝虫にかけてきな」と吐き捨てた。さほど大事な用でもなかったのだろう、ドフラミンゴは椅子をギィギィと鳴らしながら上機嫌に笑うのみだった。



シルドゥアーネは首筋に、自身の手を沿わす。指に人肌で温まった金属があたる。絡めるように掬うとずしりとした重みが指にかかった。先には鎖と同じ銀製のロケットがある。ロケットの裏面には二段の文字列が刻まれている。汚れからか黒ずんでいるその文字は頭文字がC。上段を辿っていけば現れるのはDonqixote──ドンキホーテ……あの大男の名乗りと同じ。下の段はCilduane──シルドゥアーネである。つまり、ここに刻まれているのはシルドゥアーネの本名である。シルドゥアーネのフルネームはドンキホーテ・シルドゥアーネとなり、ドンキホーテ・ドフラミンゴと同じ姓となるのだ。
ロケットの表にはデフォルメ化された髑髏が描かれていた。今ならわかる。これは海賊旗だ。
普段名乗ることのない自分の姓。町の住人に多少は知っている人間もいるが、なぜか町の住人も忌避するこの名字を大々的に告げたことはない。ゆえに初めて会った人物が知っているとは思えない。だからこそ、あの男が伯父と言うのを信じ、ついていくと……────
「どうしても行くのかい?」
柔らかなキトリの声音がシルドゥアーネの決意を砕いた。ほんとうはまだまだ迷っている。
───シリー
「……うん」
けれど、気になるのだ。ほんとうに。それがなによりの決め手になった。

 ずっと知りたかった声がある。一番古い記憶。暗い暗い闇の中で。母でもキトリでもない低い低い声がシルドゥアーネを呼ぶ。
───シリー
記憶の遥か彼方に眠る、その声の主があの大男だと皮膚の下でどくどくと流れる血が叫んでいた。……無論、それだけではないが。
「行きたくないなら別に行かなくたって……」
「そんなわけないじゃん!」
 キトリの声を遮って否定する。突然の大声に驚いた表情のキトリにぎゅっと顔を歪めた。
「行かなくて……いいわけないじゃん……」
 はじめは何を言っているのかわからなかった。あまりにも日常離れした言葉に。
でもシルドゥアーネはバカじゃない。理解した。あのシルドゥアーネの伯父と名乗った男はシルドゥアーネが共に行かねば殺すと言ったのだ。酒場の人間を。遠い地から突如としてやってきた二人の女を受け入れた島民を。そして、キトリを。
他の客の素振りからしてあの男はソレが“できる“のだろう。
チェストの上に飾られたキトリとシルドゥアーネの写真が視界に入る。

 キトリは現在シルドゥアーネの持っている”唯一”だった。
三年間、三年間だ。
三年前に母親が突如消え、捨てられたと沈むシルドゥアーネを拾い、連れ出し、匿い、育ててくれた。
なぜ行きたくないなどと言えようか。シルドゥアーネはキトリを失いたくはなかった。これが大恩あるキトリに対するシルドゥアーネなりの精一杯の恩返しであった。
それがあの混乱の最中にシルドゥアーネが叩き出した結論だった。それが最良だとシルドゥアーネは信じている。その結果どうなるかだなんてシルドゥアーネにはわからなかったから。
「それに、大丈夫だよ」
 そう、漠然と思った。あの男はシルドゥアーネに危害加えない。危害を加える気はない、少なくとも今は。サングラス越しに細められた瞳を見てシルドゥアーネは悟った。きっと大丈夫。
「……そうだね」
 黙々と下着やパジャマ、服数着とお気に入りのぬいぐるみ、絵本、電伝虫の番号の記されたメモなどがリュックに詰められていく。そしていくつかのベリー、お菓子。
「元気に暮らすんだよ。いつでも帰ってきていいからね。……どうか無事で」
「うん、キトリさんも」
自身を抱きしめる腕の暖かさにシルドゥアーネはにっこりと笑った。



シルドゥアーネ達が階段を下りてくる音がいやに静かな店内で目立つ。シルドゥアーネ達を待っている間、ドフラミンゴは笑いながら店の酒を勝手に飲み漁っていた。しかも、一番上等なものを。一応机の上に数枚の札が置いているが。
「来たか、じゃあ行くぞ」
「あっ待って!」
現れたシルドゥアーネのことを確認し、まるで鳥のようなピンクのコートを翻し、歩きだす。ドフラミンゴのあとを追うように駆ける足音が聞こえたかと思えばべたんっという音と共に止まる。ドフラミンゴはまさかと振り向いた。倒れこんだ姪の姿。
「シルドゥアーネっ!」
咄嗟に糸を出してふわりとシルドゥアーネのことを浮かす。
「大丈夫か?」
怪我はないかと強かに打ち付けていた膝をドフラミンゴの目線の高さまで持ち上げ、唖然とする。
「これは……どういうことだ……?!」
「うぅっ……シルさんはドジっ娘なのぅ……あんまりちゃんと見ないでぇ」
しくしくと顔を覆って嘆く姿に、やはりかと顔を引き攣らせた。
ドフラミンゴの弟であり、シルドゥアーネの父親であるローリエもかなりのドジであった。何もないところでもよく転び、熱いものを飲んでは吹き出し、煙草を吸えば自身のコートを燃やす。よくスパイができたな、と言いたくなるほどである。
両親どちらの血を継いだのか、ドフラミンゴと同じ遺伝子で構成されているとは思えぬほどのドジさ、その血を色濃く受け継いだのであろうシルの膝の殆どは絆創膏とガーゼで覆われていた。
幼い体躯とあわさってあまりに痛々しい。
「誤解するんじゃないよ、別に暴力を振るったりは……」
「いや……ああ、安心しろ、わかっている」
慌てた様子で言い募るキトリをドフラミンゴは遮った。嘆息交じりの声。
そう、よくわかっている。自身の弟の身体中の怪我の大半は忌々しい人間共の迫害の結果であるが残りはドジによる怪我だ。誰も悪くない怪我である。
さすがにそんなことに目くじらを立てる気は湧かなかった。自分の血縁者を転ばした道が悪いと怒りたくても、この親子に限って言えば、それを通せばこの世界から地上は消え失せるだろう。3歩歩けば足を滑らす、そういう家系なのである。
「弟もそうだったが……これは酷いな……」
子供特有の細い足の半分以上を覆う痛ましさは、蔑ろにされた結果ではなく、転ぶ度に手当てをしてくれる誰かがいた、そんな証だろう。
「おいしょっと」
転び慣れているようにぽんぽんっとスカートをはたく。空中で。バランスを取って。
図太いな、そう思ってドフラミンゴはさっきから混乱はしても怯えたりする様子はないということに気づいた。
傷つけられることはないと無意識に思っている純真な瞳は、幼き頃、天上で暮らしていたときの弟に似ていて……。


ドフラミンゴはシルドゥアーネを腕に抱いて店を出た。暴虐の気配もない店内は静かで精々慌てて出ていった客の置き土産と飲み干された酒瓶ぐらいだろう。普段通りの景色。
わっと声が上がる。助かったと。
歓喜の声を上げる客の姿に「ばかだなぁ」とキトリは嗤った。
───あのこがいないのに。
キトリは幼女の母親から言われた言葉を思い出して、電伝虫のダイヤルを回した。


あとがきなど

お母さんとお父さんの話は別で