後編

雛菊を求めて、

捨てた花



 ごめんなさい。そう告げてもきっとあなたは私にゆるしを与えはしないから。どうか、どうか、私の知らぬところで笑って、そしていつかしあわせになって――。

――――――――――

 私は平和な世界で生きたかった。だけど、私が生まれ落ちたの平和とはかけ離れた世界だった。私が生まれ落ちたのは主人公が海賊王を目指すとある大海賊時代の物語であった。

(嘘でしょ!?)
この世界に転生してきたのだと認識して……この世界がOP(ワンピース)の世界だと知ったその時、私は絶望した。
(えっどう生きろと??)
 だが、その疑問を抱く前に、私の未来は決まっていた。
 私は将来CP9に入る、らしい。
 私は俗に言う『戦争孤児』というやつだった。
戦火の中、幼い私を拾い育てた世界政府に貢献しろと、正義の前に命を費やせと、そう言われて私は育った。両親の顔は知らない。赤ん坊の頃に拾われ、グアンハオに連れてこられた。私が前世の記憶を取り戻したのは3つか4つのとき。だから、このグアンハオに連れてこられる以前、どんな国のどんなところにいたのかなんて微塵も知らない。興味がないわけではないが、知るすべのない以上こだわるわけにもいかない。
 目下、これから先の自身の就職先が一番の問題だった。洗脳じみた教育を、幼少期から受けてはいるものの前世の記憶のある私にそんなの無意味だ。
 CP9は世界政府の役人であり、秘密団体であり、諜報機関であり、殺し屋である。確か原作にも何人かCP9のキャラがでてきていた。
 上位組織にCP0という組織が存在し、そこは世界貴族直属としてなかなかにこき使われていそうだし、天竜人へ向けられている憎悪を代わりに引き受けなくてはならなさそうなかなり大変そうな組織である。
第一、政府の役人って天竜人の横暴に振り回されていたり、よく上からの指令に従っての悪役ポジでぶん殴られる展開が多い気がするんだけど?!爆発に巻き込まれてポンポン死んでそうなんだけど??
 ということで、私は決意したのである。いつかこんな世界からとんずらこいてやると。地獄のような訓練の最中、そう決心したのである。
 そうはいってもこの常にどこかしらで海賊による略奪やら戦争やらが跋扈している世界で幼い少女一人が生き残れるほど甘くはない。
 世界政府加盟国ならそこそこ平和だろうが、もし、ここを抜け出すのなら加盟国で暮らすなど恐ろしくて到底できはしない。裏切り者など見つかったら即、死のみだ。
 虐待じみた訓練の成果とはいえ、私はけっこう強くなった。六歳の頃には前世の身体能力を大幅に上回っていた。
 11のときには四式が使えるようにまでなっていた。ここにいたら私は強くなれる。生きていく能力を身につけられる。
 だから、一人で生きていける年頃になるまでこのグアンハオにいることを決めたのだ。
 もういっそ諦めておとなしくCP9になろうかと何度も思ったことがある。だが、その度に闇の世界で生きることなど、正義を前に全てを押し殺すことなどとうていできはしないと気づくのだった。


 グアンハオには私と対照的な少年がいた。
闇の正義の名のもとに凶刃を振るうのが最も向いている人間──名をロッジという。未来のCP0の総監殿である。将来、CP9に入り、殺戮と諜報活動を行い、CP0へ上り詰める男。
 グアンハオでもなかなかの有名人であった少年を私は彼が入ってきてすぐから一方的に認知していた。
 名を聞く前から顔を見てすぐロブ・ルークだとわかった。特徴的な眉とその剣呑な殺意に満ちた昏い眼差しで。
 この風貌でよく諜報員になれるな、と思ったが殺戮兵器としてはこの上なく優秀だった。
 初めて手合わせしたのは私が8つの時だったはずだ。強さは有名であったからかなり絶望感を抱いたがまあ相手は6歳だしいけるでしょうと思った。なのに、この年ごろの子供に2歳差というのはなかなかに大きいはずなのに、互角に戦われた。それまで訓練で使用したことがなくちまちま練習していた紙絵までも使ったのに。必死で攻撃を避け、拳を振るったのに。ちゃんと本気だったのに。来年、再来年にはきっと呆気なく負けるのだろうと思った。何でいけると思ったのかと、余裕を抱いたのかと、過去の自分を問い詰めたくなったほどだった。

「強いわね」

 手合わせのあと呼吸を整えてから思わず呟けば、汗を拭っていたルークの動きが止まった。
 攻撃は早いし、一撃も重い。きっと将来は優秀な政府の暗殺者に、手先になるだろう。文字通りの殺戮兵器に。

「……お前も」
「あら、ありがとう」

 この年でお世辞のうまいことだと苦々しい思いを噛み殺して答える。そんなことはないはずだ。
 だって、勝てたのはただの年の功。2歳差による体格差。  六歳という幼さで、黒髪が乱れるのも構わず俊敏に襲い来る姿はまさしく獣だった。


 その後、無事勝利したということで、褒められて与えられたおやつを頬張りながら私は塔を出た。昼食のパンの残りを懐に入れて。塔を中心として成される孤島であるグアンハオは四方を森に囲まれている。裏手から出て、鉢植えの隙間を抜い、入ったその森の更に奥が、私の秘密基地だった。
 このグアンハオでは、未来のCPとはいえ子供たちの養育機関だからか常に訓練しっぱなしということはなく、自由時間が設けられていた。
 基本的に子供たちは外に出てグラウンドが空いていればグラウンドで、それ以外では開けた草原などで野球やらサッカーやら砂遊びやらに興じていた。そんな子供らしい(・・・・・・)ことをしていいものかと思うが、よほど羽目を外したり、訓練に支障をきたさない限り、むしろその行為は推奨されていた。"普通の遊び"を教えてくれる教官もいた。それは純粋な優しさではなかったけど。潜入調査の際、他の人間との話で齟齬が生まれにくくするためである。とはいえ、歳を重ねるごとに屋内で読書をしたり、トランプゲームをしたり、勉強をしたり訓練をしたりと屋外で遊ぶ人間は少なくなっていくが。
 私は基本的にその自由時間を森の中の探索や秘密基地に費やしていたのだ。無論、誘いに乗ることもあったが。
 枝を踏めばぱきりぱきりと音がする。足をぬかるみや小石や小枝やらにとられないよう注意して、私は『秘密基地』を目指した。目線のあたりにある大きな茂みを屈んで通り抜ければ少し開けた場所に出る。
 生い茂った森に反してそこにだけ木が生えておらず、よく日光があたっていた。それゆえか花々が咲き、雑草が伸びていて彩り豊かだ。
 そしてその開けた場所の中心部はで踏み均(なら)されていて、ちびちびと生えている草は短い。
 そのことや、森林内の他の場所に咲いていない花があることからして、ここは今までも代々誰かしらの『秘密基地』であったことが伺えた。とはいえ、私がここに通いだして4年、いまだに誰かとここで会ったことはないが。 
 その時、ぽーという鳴き声が聞こえて思わず溜め息を溢す。
 降り立った鳩のため、私は地面へパン屑を落とした。
その日もいつものように森を散歩していた。その先で、弱った何羽かの鳩を見つけた。初めは見捨てるつもりだったのだ。
鳩はあまり得意ではなかったから。あの赤い瞳で見つめられるのがどうも苦手だった。
けど弱りきった白い平和の象徴に心が疼いた。そしてその鳩にいざなわれるがまま、その巣の中のあるものを見たのだ。
"ソレ"を温めていた1羽の鳩が弱々しく私を威嚇してきた。その様子を眉間に皺を寄せて眺めた。

「あなた……母親なの?」

――白いその卵が割れるまで、平和の象徴が生まれる日まで、私は待つことにしたのだ。
 それまでも、時たま持って行っていたお菓子の欠片を鳥たちが啄むことがあったから別にいいかと思ったのだ。


 そんなにパン屑を食したいのか手の上に乗り上げようとしてくる雛鳥を持ち上げて巣へ入れようとしたとき、指に人の気配と草木を踏みしめる音が聞こえ身構える。

 「あら、ルーク。こんなところまで来るなんてね」

 現れた少年に驚いて目を見張りながら告げた。
 なんで、どうして、こんなところまで?
 ここはグアンハオでも塔から大分離れた方に位置している。少しでも塔から離れたくて外に近づきたくて彷徨っていた頃に見つけた場所だ。どうやってここまで辿り着いたのだろうか。
 混乱をきたした脳を冷静にし、理性を再付与するためにばらばらと鳩へパン屑を配る。嘴の先でつつくその瞳は血のようで、相変わらず苦手だった。

 そして巣から転がるように落ちてきた雛がまた両手に乗り上げてきて、再度巣に戻すのも面倒でその子をそっと下ろした。
――困ったことが起こった。

 私の手から落ちていった雛を他の鳩たちが避けたのである。困った様子の雛は私の良心を刺激した。――だから大人しく巣に入れば良かったのに。私の手に再度戻った鳩の瞳は私の嫌いな赤だけど、柔らかな光だった。
 それはただ唐突に浮かんだだけの、気まぐれな提案だった。

「ねえ、この子を任せてもいいかしら」
「は?」
呆気にとられた表情が面白くて、おかしくて。くすくすと笑いながらその手を掴み、無理に開く。そうしてその手のひらに私の左手の指に止まっていた雛を乗せる。

「人間に触れた雛を親鳥がめんどうをみることはないわ。だからあなたがみてやってよ。……すぐに大きくなるから」

鳥の雛の成長速度は早い。まだ針ネズミのようにツンツンとした羽を持ち、八歳児の拳大ぐらいしかないこの雛もあと数週間かすれば成鳥となるだろう。それまででいいから。それにこの子は将来鳩とともに暮らしていたはず。だから鳩は嫌いではないでしょう、と。
 その思いで預けたのだが、ルークに尋ねたこの鳩の名前に私は笑った。

 (お前、あと24年も生きるのね。ハットリ)


 人の気配がして、私は慌てて月歩によって浮かび、木へ身体を降ろした。茂った枝葉に身体を隠しながらいったい誰がこんなところまで来たのかと覗いた。ここは、いつもの秘密基地からさらに歩いた場所だ。そうそう人の来る場所ではない。もしも教官なら決まりが悪いと思っていたが視界に入った人物は想像からかけ離れていた。

「あら……ルーク?」

 よくわからない枝をぶんぶんと振り回すルークが歩いていた。何をやっているんだろうかと思いながら声をかける。
 何をやっているのかと問われて四葉を探していたと告げた。別にどうしても欲しいわけではなく、ただの退屈しのぎだったのだが。願いがあるかと尋ねられて曖昧に答える。願いなんてなかなか咄嗟に浮かばないものだ。私の一番の願いごとはおおっぴらに言えるものではないことぐらい理解しているし。
 ――それは何気ない言葉だったのだ。聞かれたから、聞き返した。それだけのこと。あなたの願いは? その回答がああだなんて思わなかったのだ。あんなことを言われるなんて。まだ6歳と幼いからか随分と可愛らしい返答をした子供に複雑な気持ちを抱いた。

「おれのそばにい、てほしい」
「……その程度のこと。四葉などなくてもあなたが望むなら叶えるわよ? 私がグアンハオにいる間だけ、なら」

 いつかこの場所を出ていくと決めている以上、例え誤魔化しであろうとずっと傍にだなんて言えない。けど、この島にいる間だけなら。そう思って答えた私の顔は少し熱い。まさかこんなことを言われるとはとうてい思っていなかったものだから照れが生まれたのだ。

 ─その行為に深い意味はなかった。

 差し出されたシロツメクサをくるりと自身の小指に巻きつける。結んでしまえば指輪ができた。同じことをルークへぷちり、とちぎった真っ白な花のシロツメクサで行う。固まった手に茎を巻いて、きゅっと絞ればできあがりだ。
 ルークの小指へ自身の小指を絡めた。呆然としていたルークが目線を私たちの小指へやる。

「約束、約束よ」
「……守れよ」

 ルークが瞳を伏せた。命令口調に関わらず、懇願に似た声音に私は動揺した。咄嗟に口籠ればルークが意識的に小指を私の小指に絡め、力を込める。慌てて返答した。
「……ええ、もちろん」


   その約束の通り、彼は私の傍にいた。
 兵器になんてなりたくない、そう嘆く私にルークはいい顔をしないだろうと思っていた。教官に知られたらこってり絞られそうなことを私はルークの前でよく口走ってしまっていたから。
 まだ六歳の幼い少年を前に気が緩んでしまうからだろう。将来の彼の残虐さはいまだ伺えず、小さな身体の三分の一はハッと同じ体長だ。
 ─ああ、どうか人殺しになんてならないでほしい。そう偽善に似た愚かで身勝手な感情を抱いた。だからといって助けようなどとしないくせに。他の道を提示なんてできないくせに。
 だって時折笑む姿を見て私の心は揺さぶられたのだ。あまりにも、どこにでもいるような普通の子供で。『秘密基地』でハットリと身を寄せあって眠る様を見れば心が温まった。
 血を浴びて牙を剥き出しに嗤うようなそんな大人にならないで。血を求めないで。
 普通の子供のままでいて。日の光のなかで笑って。
 そう独善的な思いを胸に隠す。
 手遅れなことぐらい、おおいにわかっていた。まだ人を手にかけていないにしても彼の暮らしと殺しは密接に絡み合っている。
 彼が、彼らが、他の道を歩むことはできない。他に生きる道を知らないから。その幼い身空で。……きっと私も同じなのだ。前世の記憶があれど、それはこの世界でのことではない。この世界で生きていく術を、私は知らない。
 

 あ、ここにいたらまずいな。そう思ったのは9歳のときであった。あいつら私に色事を教え込み、あまつさえ使わせようとしたのである。
 転生前の自分とかけ離れたこの容姿は、この世界基準でもそこそこに整っているらしい。それを利用しろと告げられたのだ。
 そして必ずここを出て行ってやると、決意したのは11歳の時。

 ――初めて、人を殺した日。

 それは、グアンハオの子供だったはずだ。自身と同じかそれ以下ぐらいの。刺した指に伝わる生温い血と流木のような脆い骨とぐにょりとした肉の感触を、覚えている。
 グアンハオでは演技や航海術、その他様々な技術をマスターするべく多種多様な専門知識を叩き込まれていた。
 王侯貴族ですら授けられぬほどの教養を。様々な場所へ潜入できるように。とはいえ、その全てをマスターできるわけではないけど。力仕事の必要な土木作業は苦手だったから、代わりに調理や知識方向に力を注いだ。医療知識、演技指導、世界情勢、状況分析能力果てには筆跡の偽造まで。あらゆる知識への精通を求められた。そして何より、命令に常に忠実であることを。
 その日は、確か何らかの授業のテストの日だったはずだ。私はそこで優秀な成績を修めることができた。理由は簡単。必死にカリファと勉強したからである。
 私が最も仲の良い同性の人物はカリファであった。原作キャラだから関わりをもった訳では断じてない。ただカリファと私はこのグアンハオで『同室』だったのである。基本的に複数人部屋なのだがそこそこ優秀で私より歳下の少女はなかなかいないらしくころころと同室は変わった。少し前まで私より年上だが途中で入ってきて、そしてかなり優秀な少女がいた。けれどあまりに優秀だったがためにすぐに一人部屋へ昇格し、その数日後私と相部屋になったのがカリファだった。
 カリファと私は5歳も歳が離れていてまるで妹のようだった。

『一緒におべんきょう、しませんか』

 身の丈ほどの本を抱えてそう伝えてくるカリファが可愛くて可愛くて休憩時間ずっと共に本を読んだり書き取りをしたりしていた。まだまだ幼いカリファが外で友人と遊ばないのはいかがなものかと何度か連れ出したけど。
 『私はあなたのそばにいる』と約束してしまったルークともできるだけ共にいたから必然的にルートとカリアの関わりが増えたが悪いことではないだろう。将来同じ場所で働くんだから。
 そして何か叱られたりするだろうかと、鬱々した気持ちを抱えて教官のもとへ行った。ついてきなさい、そう言った教官に連れて行かれたのは地下室だった。
 この塔の地下に良い思い出はないから、早く用事をすませたい。特別叱られるようなことはしてないはずだ。咎められることは。何と言われるかと、私は教官の言葉を静かに待った。
 私の心配は杞憂に終わった。……私としてはむしろその心配が実現したほうが、いくぶんかマシであったが。
 教官はまず、今日の成績を褒め称えた。そして、最近の頑張りを。だからと言った。だから――

「これ(・・)を殺しなさい」

 とある部屋の分厚い扉が開かれ、中に入れば猿轡を噛まされた子供が床に転がっている。薄暗い部屋だ。鈍色の壁は鉄製だろうか。窓ひとつない部屋の明かりは、教官が持っているランプだけ。
 周囲の様子を確認して、そうして私は目の前の受け止めきれない光景を再度視界に入れる。
 子供の姿に、見覚えはあった。確かこのグアンハオにいる子どもの一人で、先週、隣の席で昼食をとったし、一緒に遊んだこともある。
 自身と同い年だったか、一つ下ぐらいの、そんな子供が、両手を両足を縛られ床に転がされている。私に殺されようとしている。
 処分の内容は政府への反抗だとか、知ってはならないことを知ったとか、そんなことを説明された。けど、教官のべらべらと語る言葉はどこか現実味を帯びずに、私の右耳から左耳へ通り過ぎている。
 口を閉じた教官が懐から何物かを取り出して、差し出してきた。銃だ。拳銃だ。何度か、訓練したことのある……。

 「あなたはまだ指銃が使えないから、これを貸してあげましょう」

 しかたがない子へ向けるような優しげな表情に背を押されて思わず冷たく重いソレを受け取ってしまった。純粋な親切心に見えて、ゾッとした。
 銃を握る左手とは逆の右手を宙を彷徨わせる。半ば絶望に似た気持ちを抱いて、どうしたものかと思考を巡らせた。――どうすれば、この状況から逃れられる?
 しばらくの間沈黙が広がった。教官に促され私は銃口を子供に向けたがなかなか引き金に指をかけることはできない。ぴりり、とした声音が耳を貫く。しびれを切らした教官に名を呼ばれたのだ。
 険しくなった教官の表情に幼い頃、前世を思い出した頃の記憶が頭をよぎる。暗い場所。怖い場所。行きたくない場所。――懲罰房。
 私は震える手に力を込めた。……いいや、込めようとしてその手の中にあった拳銃を、教官に投げつけるようにして弾き飛ばした。
 なんでこんな真似をしてしまったのか、あとから考えてもわからない。呆気にとられた教官が怒声を上げようとする前にことは決した。頭の中がぼんやりしていた。
 指にざらりとした麻の布が触れた。(やだ、やだ、やめたい)そう思っても思った瞬間には貫き終わっていた。
 服越しに、伝わる体温。どくどくと脈打つ心臓。かつて机を並べ同じ釜の飯を分かち合った子どもへ人さし指を突きつけて、その体へ貫通させたのだ。
 指を抜いて、浅い呼吸を何度かして、やっと我に返る。指から滴る血のぽちゃぽちゃした音が鳴り止んだ。目の前に転がるのは息絶えた子供の亡骸だけ。光を失った見開かれた瞳が気味悪くて、目を背けた。
 ――教官は満足そうだった。


   憔悴の末、ハットリをルークに押しつけた場所へ来てしまったのは無意識だった。ぽーという鳴き声にはっと顔を上げた。

「ごめん、今日は何も持ってきてはいないの」

 近くへ降りてきた一羽の鳩へ向かって微笑めば、ガサガサと茂みから音がした。鳩か、小鳥か、人間か、それ以外の動物か。思わず構えようとすれば黒い髪が視界に入り、脱力して蹲った。

「坊や、どうしたの……」

 声は少しかすれた。ルークは目に見えて不機嫌そうな表情を浮かべた。

「お前が今日の餌やりをしろと言ったんだろう」

 ああ、そうだったかと記憶を辿って少し、思い出す。そんな気がしてきた。近づいてきて、私から四歩ほどの距離で立ち止まり鼻をつまんだ。

「血の匂いがする。怪我でもしたのか」

 顔から血の気が引いた。強張った顔はひどく冷たい。……噓でしょ。
 服へ返り血はついていないはずだ。白いから汚れていたらすぐにわかる。顔も、手も、足も、晒されていた皮膚はすべて水で流した。手なんて念入りに何度もハンドソープで洗ったぐらいだ。なのにわかるなんてまるで動物だ。そんな考えが浮かんで、浮かびきるまえに沈んでいく。

「何故……泣いている?」

 その言葉に凍りついた皮膚を融かすように頬を流れる、温かな熱の正体を知った。……ああ、泣いている。泣いてしまった。この子の前で。どうして?

「あまり気にするな。別に臭いわけじゃ……」

 気まずげで、どこか呆気に取られている。反応を見せずぽろぽろと涙をこぼす私に途方に暮れたような表情を見せた。
 その幼い表情を見て、目の前の少年が将来と呼ばれCP0に入るロブ・ルークではなく、まだ幼い坊やなのだということを理解した。それとともになんだかおかしくなる。
 あのロブ・ルークが!!!
 ――そして私は気づいた。今この瞬間、殺戮兵器なのは私だ。ルークの手はまだ血に濡れていない。
 少年の瞳はまだ澄んでいる。頬は柔らかい。背は低い。声は高い。そっと顔を包む。大丈夫だ、この手の血はすでに落ちている、物理的には。きっと、この手が綺麗になることはもうないのだろう。
 私は凍てついた唇を何度か噛みしめ血を通しながら、声帯を震わせた。

「……人を、殺してはいけないの」

 私は一線を踏み越えてしまったけど。


 そうは言ってもこのグアンハオにいる以上、殺人は避けて通れぬ道で。私にはCPとしての任務が割り振られ、島の外へ出ることができるようになった。そしてその回数以上に死体が増えた。
 いつ頃からか、ルークからは血の匂いがするようになった。なんなら、返り血を浴びたまま、カリファのために四つ葉のクローバーを探している私の元へやってきたりするので、私は毎度仰天する。せめて指についた血は拭いなさいと告げたら面倒だからと手袋をして行くようになった。その事自体に文句はないのだが、血が乾いてバリバリになって気持ち悪いと持ってこまれても困るのである。「あなた、もう手袋使わないほうが良いんじゃない?」としか言いようがない。
 ぐちゃぐちゃとした気持ちを押し殺していた13の頃、CP9の任務に携えと指令が下った。それは事実上のCP9への内定で。司法の塔に部屋も用意された。

 ――まだ、未熟者ですから。グアンハオを出るわけには参りません。

 幸いにもルークという才能の化け物が2つ下にいたから、それを言い訳に、必死でのらりくらりとかわした。なにが悲しくて13でCP9に入らねばならないのか。CP9に入れば任務の難易度も、非道さも、おおいに変わる。それに私には約束を果たす必要があったから。ルークとかつてした約束。ルークが四葉に望んだ約束。――できる限り、傍に居る。
 そのためだけに私はこの島で暮らしてる。毎日毎日、司法の塔へ行って任務をこなして書類を提出して訓練して。そして、カリムと同じ部屋で眠った。

「ごめんね、カリア。一人部屋がいいでしょ?」
「いえ、大丈夫。でもあなたこそ大変でしょう?」

サイファとしての仕事をさせられるようになってからもまだ見習いだとかでグアムに帰る日々が続いた。
一応CPに部屋は用意されたがそばにいるという約束をしたし、ずっと年上だらけの仕事に関連する場所にいるのは息が詰まった。
まだ休憩時間には子供が笑い声を上げている場所のほうがマシだ。
何より、ここを出たら私は正式なCP9となる。そうしたらもっと出ていくのが難しくなるだろう。それまでの辛抱だった。
とはいえ、CP見習いとはいえ仕事内容を任務に関係ない人物に知られるのはまずいので全て司法にあるし、訓練も司法で受けさせられることが殆どだが。


――今日もまた、人を殺した。とうの昔に赤く染まった手をみていると胃の腑から何かがこみ上げてくる。ルークは私のその姿を、まるで嘲笑うように見つめていた。
 一息ついて、私はカリファと約束したからと四葉のクローバーを探し出した。ルークは塔に帰るかと思ったけど傍らに立っていた。

「おい、これ」

 一瞬、自分が呼ばれたことに気づかなかった。ここには私と、ルークとハッしかいないのに。頭はどこか靄がかかっていて、今日はもう帰ろうかと思った。何も返さずにいれば再度「おい」と声をかけられたのではいはい、と顔を向けた。ルークが指し示す先にあるクローバーは6つ繋がっているように見える。手を伸ばし、ぷつりとちぎった。やはり、六葉のクローバーだ。求めていた四葉ではないがこれは……。

「すごい!よく見つけたわね、すごい幸運だわ!!」

 四葉よりも見つかる確率が低い。そのことに、ひとしきり私がはしゃげばルークら照れたように顔をそらす。その仕草はまだまだ子供らしい。

「はい。……あなたが見つけたんだから、あなたのものよ」

 差し出した手に不可解そうな表情を浮かべるものだから苦笑して、私はルークの手を掴み、握らせる。

「なぜこんなものをわざわざ探すんだ……」
「そりゃ、幸運がやってくるというし……それに見つけられたら嬉しいじゃないの」

 あなたは違う?と尋ねれば、バカバカしいと浮かべていた鼻で笑うような表情をぎゅっと歪ませた。なんだかおかしくてくすくすと笑う。「ねえ、ルーク」と声をかければいつもの表情に戻り、こちらを向いた。なんだか残念。

「いつかこの世界が平和になるといいわね」
「そのとき俺らはどうなる?」

 そんなことを言われるなどとはとうてい思っていなくて私は一瞬言葉に詰まった。鼻で笑われて終(しま)いだと思っていたから。この頃にはもう私達の手は汚れきっていて、今更平和なところで暮らせるのだろうかと不思議なほどだったから。

「……平和に暮らすの。素敵でしょう?」

 笑えばルークは不機嫌そうに眉をしかめたが、何も言ってくることはなかった。



  ──私は、思わず固まった。

 そのとき感じたのは恐怖だろうか、狂気に当てられての興奮だろうか、命を絶やすことへの怒りだろうか。いいや、違う。全部が、違うのだ。
私はこのとき確かに、ルークに哀れみを抱いたのだ。
 だから、あんな馬鹿げた約束をしてしまった。

──もしもこの世が平和になれば、ずっとそばにいてあげる。

   その日もまた、任務であった。対象は五人。二人のCP9とともに行う任務。そのうちの一人がジャブで少し不安であったが基本的に仕事はできる男だったのでそれは杞憂だった。ルークが遠方の国にサイファーとして任務にいっているためその間預けられており、エニエスロビーの私の自室に置いていたハットリとシルクハットには渋い顔をしていたが。ルークの遠方での任務はなんでもとある王国で海賊が人質をとって王へ無茶な要求をしているらしい。その海賊の制圧が指令だった。それがあの500人殺しの事件だと気づいたのは全てが終わったあとだった。……すぐに気づけないほどに珍しいことではなかったから。
 とある男の額に私は人差し指を突き通していた。指に、少し衝撃が残っている。いつも寸前で躊躇してしまうからだ。どれほど数をこなしても殺人に慣れることはなく、精神を摩耗していく。ゆっくりと目の前で死体が倒れていく。きっと穴のあいた頭蓋骨が残るだろう。


 政府直属の病院内で絶対安静と告げられた少年のもとに、私は居た。砲弾を浴び、背に火傷を負ったというのに目の前の少年は爛々と目を光らせている。衣服を着替えているはずなのに、なぜか血の匂いがした。染み込んだ殺しの香りは消えないということだろうか。
 獣じみた息遣いと何かを渇望するような眼差しに小さく溜息をつき、私は持ってきた花を花瓶に入れた。横たわった少年が、私の名を呼んだ。来たのかと。

「酷いことをしたものね」 「お前もおれを責めるのか?」

 嘲りの混ざった声音に薄く笑う。違う、違うのだ。そういうことではない。
 第一、私に彼を責める権利はない。この世にどれほど彼を責められる人間がいるだろうか。精々、墓の下に眠る彼らや、その遺族たちだけだ。
 多数のために、見通した未来(さき)のために、少数のものを殺す。少しでも多くの未来のために。

「あなたは悪くないわよ。……あなたの行動は正しかった。その正統性は政府が保証してくれる……でも、皆殺しは酷いものだったわね。やはり」
「わかっている。だから、世界政府には従う……もし、それにあれが一番早かった」

 早かったのではなく、血が見たかったのでしょう?より多く。それを告げるつもりはないが。

「そう、そうね。もし長引けば、私も動かされていた……。大いなる正義のために、多数のために少数を切り捨てる。わかっているわ。それが平和への最短だってことぐらい」
「ならば、何が不満だ?お前の仕事を減らしてやったんだ。お前は手を汚さずに済んだ……!お前の望み通りだろう。それに任務は果たされた。これ以上何を望む?何考える必要がある?」
「でも、あなたなら人質全員を殺す必要なんてなかったでしょう」

 懇願を帯びた声音に少し動揺したようだった。
 畳み掛ける。

「人質全員を殺すのは確かに手っ取り早い。合理的よ、でも……倫理にかけるわ。殺しは平和を遠ざける……」
「だが、王国は救えた」
「……でも死んだわ。500人よ」
「弱者に生きる権利があるか?」

 私は何も言い返す気になれなくて、口をつぐむ。言い返す言葉が浮かばなかった。それは彼に正統性を感じたわけではないが、彼のその言葉を否定するのは彼自身を否定することになると気づいたから。そして、少し疲れてきたからだ。あけすけに言えば面倒になってきた。
 私たちのこの主張はどこまでいっても平行線だ。私たちが真の意味で分かりあうことはない。
 平和の中で育った記憶のある私と、幼い頃から兵器であれと育てられた記憶しか持たぬ少年。期待に応え続けられる少年が私に見切りをつけず、聞く耳を持つだけ奇跡だ。
 眉間に皺が寄っている自覚があった。……話をそらす。

「……酷い傷を負ったと聞いたわ。初めに海賊を仕留めればよかったのよ、ハットリを心配させないであげてちょうだい」
「お前もしたのか?おれの心配を」
「……ええ」

 吐息の混ざった静かで落ち着いた声。なぜそんな声が出るのかわからない。哀しみと焦りとどうしようもない怒りがぐるぐると私の中で回っている。──なぜ?
 混乱しそうになるぐちゃぐちゃの脳内をどうして私が抱いているのかもわからずに、目の前の少年を見る。
 驚愕に満ちた少年の顔が混乱をきたした思考回路で見るとなんだかおかしく思えて。私は口を開いた。

「ねえ、ルーク。約束しない?」

 ハットリが中で眠る彼のシルクハットを両手で包み差し出す。平和の象徴が眠る殺戮兵器の帽子。

 (――何だか皮肉)

 ルークは何を? と尋ね私を見上げてきた。暗い瞳。薄く笑みを浮かべながら私は答える。どうしようもない虚しさが胸元で蹲っている。
 私の言葉にルークは無言でシルクハットを受け取った。
 両手をシルクハットで埋める姿を随分と幼く見えるなと思いながら、私は見つめていた。

 ──繋げた小指は冷たかった。


 そう、平和な世界でなら私はルークと共にいれただろう。
 だが、現実はそうではない。私は限界だったのだ。
 ぐるぐるぐるぐると回る世界は私の身体を赤く、黒く染める。指先に伝わる脂肪と肉と血の生温い温度。箱庭での厳しい訓練。優しい教官も気遣ってくれる同朋もいた。けれど、それで帳消しになることはない。洗脳教育。亡くなった子どもたち。死を恐れぬ彼ら。倫理を捨て心を殺して歩む未来。
 この世界は、どこへ行っても醜いのだと、そう気づいたのはいつであったろうか。
 身勝手な人間たちと、それによって構成される世界が美しいわけがないと。そう気づいたのはいつだったろうか。
 それは任務先でのできごとだった気がする。
 けれど、それでも私はここを出ていきたかった。その先にあるもののために。
 幸福になりたいなどと、願ったことはなかった。そんな贅沢なこと言う気はない。けれど、けれどどうかどうか私に自由がほしい。
 たとえその先でぼろ雑巾のように打ち捨てられそのまま死んだとしても構わないから。私の選んだ道の先で死にたい、そう思ったのだ。
 ここにいてもいつか死ぬ命ならば。任務に失敗すればきっと死を命じられるのだから。
 グアハオルにいる間、必死で生きてきた。1秒でも長く生きれるように、自由があるのに、命を惜しまれるように、使い捨てられないように。そんな日々とももうお別れだ。
 昔、何かの折で懲罰房に入ったことがある。理由なんて覚えてない。些細なことだったはずだ。
 過去の私は前世の記憶をぼんやりと覚えていたため暴力行為に忌避感があった。それなりに期待されていたのになんの成果も出さないた子供だったから、結構酷い扱いをされていたのだ。
 地下にある懲罰房で何をされたか覚えていないが、それによって前世の記憶を思い出すぐらい酷いことだった。
 なんども、なんども。恐ろしい目にあってきたのだ。この島で。懲罰房以外でも環境適応能力を鍛えるだとかで寒い部屋やら死ぬほど熱い部屋に閉じ込められたり、毒に慣らされたり。  ここを故郷と呼ぶ人間の気がしれない。ここを故郷と呼ばねばならぬことが耐えられない。  私は世界を壊すことを決めた。
 そんなときにやってきた偉大なる航路、前半の海にある島での任務。きな臭い組織の内情を確認し、ボスを殺し組織を壊滅しろという任務。その簡単な指令のわりになかなかに大規模な任務だった。大量の人員が投入され、そしてその中にはグアムの子供たちもいた。その子らの先輩としてCPの正式な職員との緩衝材であることを期待されてのものだった。この仕事が終われば正式にCP9へ移動になるという。先の500人殺しでルークも正式なCP9入りが決まったからそれと同時期なら問題ないだろうという上の判断だった。
 町の住人を殺す必要のない任務でなら大丈夫だ。問題ない。そう、判断した。
 私はその日、炎の中へ飛び込み全てを捨てたのだ。
 名前も、絆も、力も、未来も。
 だってそれは全てグアンハオで授けられたものだったから。
 生まれ持っていたものなんて、ただの一つも存在しないのだから。
 今までの自身を築き上げた全てを投げ捨てて世界を壊して、逃げ出したのだ。
 潜り込んだ船が出た。行き先はわからない。冷たい潮風が頬をなでる。
 未来に不安はない。もうあの恐ろしいものを見なくて済む。その漠然とした歓喜だけが心を満たす。あの燃え盛る街を、見ずに済む。

「私は逃げたのよ。だから、許されないの。あなたもそう思うでしょ?」

 ──ねえ、ルーク?

 ぐちゃりと足裏がシロツメクサを踏み潰した。



   やはり、朝は珈琲に限る。

「おっ、やってるねぇ」

 古株の元同僚たちが絡んでるであろう事件の記事に目を細める。
 世界は、回りだした。物語が始まったのだ。この世界の主人公様の名前が賞金首に仲間入りしてそろそろ一月(ひとつき)経つ。

「はは……次は何が起こるんだったっけな」

起き抜けにせっせと自分でミルを挽き、入れた珈琲へ口をつける。
愉快げに目を細めた女が一人、ニュースクーの運んだ朝刊を読んでいた。


──止まっていた時が動き出す。
新聞の一面を飾るのはエニエスロビーの崩壊であった。

どうでもいい花言葉たち

雛菊(デイジー):「平和」
シロツメクサ:「約束」
クローバー:一つ「困難に打ち勝つ」「初恋」
     二つ「平和」「調和」「素敵な出会い」
     三つ「愛」「希望」「信頼・信仰」
     四つ「幸運」「真の愛」「私のものになって」
     五つ「財産」「財運」「豊かさ」
     六つ