前編

いつかシロツメクサの

花束を



「兵器なんかじゃなくなるわ」  自身と2つしか変わらないはずの子供は、いやに達観した眼差しをし(持っ)ていた。 ─────── 「私、鳩は嫌いなの」  そう言いながらパン屑を分け与える女が心底理解できなかった。    それは確かルークが6つの頃で、訓練終わりに借りたタオルを返すべく女を探していたときのことだっだ。  女は自身より2つ上で、数日前8歳になったばかりだった。同年代で頭一つ飛び抜けているという噂の女と齢六つで将来を嘱望(しょくぼう)されているルークはその日手合わせを行っていた。  なぜ、頭一つ飛び抜けていると噂されているのかは一瞬で理解した。彼女が六式を十に満たぬ年齢で二つも使ったからだ。彼女が六式のうちの一つを使えるという噂があったが眉唾ものであったし、まさか二つも使えるとは思っていなかった。  教官たちも知らなかったのだろう。興奮した様子で記録を取っていた。  同じ年頃の強者同士のぶつかり合いが才能を開花させたのではないか、拳を振り落としなが聞こえた言葉にルークは一種の優越を感じていた。  攻撃をぶつけてもひらり、とかわされ剃を使ったのか目にも留まらぬ速さで背後を取られる。そして拳が振るわれた。両手を交差させ、それを受け止める。とはいえ攻撃の力はさほど強くない。ルークが歳下だから手を抜いているのかと思ったが、それは杞憂だとすぐに気づいた。  瞳は本気だった。手を抜いてなんて、油断してなんてなかった。だからこそ、初めから六式の2つ──攻撃を見切ってひらりと避ける紙絵と瞬時に連続で地面を蹴ることにより瞬発力を高め反動を利用し、爆発的な速度を出す剃を繰り出したのだ。  いつか自身もそうならねばならぬ存在。厄介な相手だと思った。とはいえ、打撃に込められた力は弱い。されどあまりに素早い。  ──気を抜いたつもりはなかった。  攻撃をしかけ、躱されて。背後を取られ、振り向き、距離を取られ、縮まれて。気づけば少女が馬乗りになっていた。拳を握った右腕が振りかぶられ、足で抑えつけられた手を何とか解放し、攻撃を防ごうともがいた。 「やめ」  低い声が響いた。教官だ。  指示に従い少女は脱力するようにするり、とルークの首から手を離し、立ち上がった。ルークを振り返ることなく休憩用の椅子へ向かう。  その後ろ姿をぐっと腹筋に力を入れ上半身を起こしながら見つめる。  少なくとも同い年の子供に負けた記憶のないルークはたった二つ違うだけでこうもあっさり負けるのかと、屈辱と少しの憧憬を抱いた。  立ち上がり、少女に近づいてぼーっとただ眺める。頭に靄がかかっていてまともに働かない。首に一瞬とはいえ力を加えられたことで血流が滞っているのだろうか。  少女は椅子の上のタオルを手に取り、汗を拭いながら「ふぅ」と小さく息を吐いた。ふと頭が動きルークへ視線が向く。  どきり、と鼓動が鳴った。緊張を抱く。  色素が薄い、ガラス玉を嵌め込んだような目にルークが映っている。ルークの黒髪が映り込んで彼女の瞳を色づけている。その瞳が緩まった。また、不思議な気持ちに見舞われる。脈拍を、妙に意識してしまう。  ふわりと微笑んだ少女は予備なのであろう椅子に置かれていたもう一つのタオルを手に取った。 「あなたも休んだら?タオル、いる?」  返事をする前に投げつけられたタオルを慌てて受け取る。タオルには少女の名前が書かれていた。  ごくごくと嚥下する音がすぐそばから聞こえる。  その音に、我に返って冷たくなっていた額に浮かんだ汗を、タオルで拭う。ついで首、腕と。拭いながら深呼吸をすれば訓練で酷使したがために強張っていた筋肉がほどけていく。あと数時間後には酷い筋肉痛が襲ってくるのだろうことを察して、うんざりした気持ちを抱いた。  ──女が唐突に言葉をかけてきた。  急なことに驚いて素っ気なく言葉を返した。とはいえ通常時であっても、それ以上の何かを返せたとは思えないが。 「紙絵と剃を使えるんだな」 「うん。でも紙絵を訓練で使ったのは初めてだな」  柔らかな口調で返された言葉に反発心が芽生えて強い語気で問う。 「初めてだと?なぜ今日使った?……手合わせの初めに使いだしただろう」 「だってあなた強いんだもん」  最初から使えたということは前から使えてたのではないかと糾弾するかのようなルートに少女は初めから全力じゃなきゃ負けてたかも、と愚痴るように溢す。つい、そうだろう、と悦に入る。ルートは六歳にして次期の呼び声が高く、天才と評されているのだから。少しの照れも湧いて顔をタオルで覆い拭った。  ……でも、ずっと無視するのもよくないかと顔をタオルから出したのだ。 「……は」  気づいたときには少女は訓練場から消えていた。彼女はさっさとおやつをとりにいっていたのだと、後で聞いた。    少し開けた場所に出た。燦々と日差しの注ぐ場所があった。  少女がこちらに視線を走らせた。 「あら、坊や?」  意外そうに片眉を上げて女は言った。けれどすぐに視線は地面へと戻りぱらり、ぱらりと床に撒いている。 「どうしたの、ルーク。こんなところで」 「お前こそ何をやっているんだ?……鳩が好きなのか?」  ルークにとってあまりに不可解な風景だったため質問に質問を返したが、それで気を悪くはしなかった。 「いいや、鳩は嫌い」  淡々とした声音に何を言っているのだろう、こいつはと胡乱な視線を向ける。嫌いなのになぜ?  雛が一羽、少女の手のひらへ潜り込むようにして乗り、餌を啄みだした。驚いたように肩を揺らした少女は小さな溜息をつき、しゃがんだ。手を地面に近づけると雛はぱたぱたと小さな羽を揺らして転がるように地面へ落ちる。これは飛べているのかと疑問に思うルークの目の前ではなんともむごい光景が広がる。雛が親鳥であろう白い羽根の鳩に近づいたのだが、そっぽを向かれてしまったのだ。人間に触れ合ってしまったから自分たちの仲間ではないということか、それもまた自然の摂理だな、とルークは納得を抱いた。しかし、少女はそのことに不満を抱いたようで眉根を寄せ、また溜息をついた。  雛も困ったように少女へぽとぽとと近づく。  少女はこちらを再度ちらり、と見てから退屈そうに手をはたき、パン屑を全て土の上に落とした。ぱん、ぱんと潔癖なまでに、執拗に。  彼女がパン屑を土へ落とせば鳩たちは地面を啄んだ。その波を逆らうように雛がぱたぱたと羽を動かして浮かぶ。  無言でその雛を両手に収めた少女がこちらを向いた。 「あなた、この子飼わない?」 「は?なんで、おれが……」  聞き間違いか、空耳かと思った。  女は目線を鳩に向けたまま、こちらを向きやしない。ああ、遠くを見つめるその瞳にいったい何が映っているのだろうか。  馬鹿馬鹿しい、そんなことをして何のメリットがある? そう言いたいのに、ルークの唇は動かない。  そうしてルークが何も答えられずにいると少女がなんだかんだとまくし立ててきた。よくわからないまま相槌を打っていれば気づいたときには丸め込まれ手の中には鳩の雛がいた。  押しつけられた鳩の雛はルークの両手の上でくるっくるっと鳴きながら首を傾げるような仕草をする。  その仕草に胸の奥を擽られるような心地がしてまあいいか、と飼うことを受け入れた。 「名前どうするの?」 「……ハットリ」  急な質問に対してルークが答えたのはかなりてきとうな名前だった。しかし、いやにしっくりくる。「そうなの」と告げた少女はしきりにハットリを呼んでいた。  いつしか、日が沈みかけていた。  夕焼けが彼女の髪を紅く染め上げる。とりとめのない、雑談にも満たぬような話をしていた少女はなにごとかに気づいたように、はたと顔を上げた。ルークの肩に気づけば乗っていたこてんとハットリが首を傾げた。  「やだ、私今日当番だった!!」  君も晩御飯の時間までには戻るのよ、そう言い残して女は慌てて飛び出す。少し歩いて、立ち止まり振り返った。 「ここのこと誰にも言わないでね」 「わかった」  夕日を背負う少女に真剣な眼差しで告げられルークはおとなしく頷いた。そのことにほっとしたように小さく肩を落とすとたちまち駆けて行って見えなくなる。障害物の多い森というのもあるが、剃を使ったのだろう。自身もそろそろ戻らねばとゆったりした歩調で、そのあとに続いた。    グアンハオの中心に位置する塔へ入ればちらちらと視線を感じる。その視線の先は肩に止まるハットリだろう。  扉をくぐり廊下を歩いていれば向かいから来た教官に「それは?」と尋ねられたが「飼うことにした」と端的に答えた。その雑な返答に対して教官が怒ることはなく、飼うこともまた受け入れられた。なんでもあの少女が口添えしていたらしい。子供たちに比較的親切な教官だったのもあるだろう。  教官は「餌を用意しておく」と言ってキッチンへ引っ込んでいった。入れ替わるようにして騒々しい声が耳に入る。 「何だァ?その鳥。スズメか?」 「ハットリだ」  うるさい奴が話しかけてきたとうんざりしながら答えると話しかけてきた少年─ジャブラはぷっと噴き出した。実に腹立たしい。 「おまッ!ハットリって!!そんな鳥いねェだろ!それを言うなら鳩だ狼牙」 「ハットリという名の鳩だ」 「え、お前鳩相手にハットリなんて名前つけたの?」  戸惑ったような視線を受け流して食堂へ向かえば、当番という言葉の通りにあの少女が配膳の手伝いをしていた。  皿を置いた少女の顔が上がってこちらを見た。目が合う。少女はにこりと笑って小さく手を振ってきた。ルークは手を振り返さなかったが、ハットリが羽をまるで手のようにして振る。そのまるで人間のような動きにルークは驚き、思わず見つめた。少女も暫し目を見開いたがすぐにそれは満足げな笑みに変わった。  次の日の自由時間にも、塔から出ていく少女を追いかけたのはただの気まぐれであった。  少女はルークが後ろをついて歩いても何も言わずただ黙々と昨日と同じ場所まで歩いて行った。  持ってきていたパン屑ばらばらにして、それを全て蒔ききったあと、またぱんぱんと手をはたいた。そして、やっと口を開いた。 「同室はジャブラだったっけ?ハットリのことで何か言われた?」 「すずめかと聞かれた」 「ジャブラにはすずめの羽が白やグレーに見えてるのかしら……」  どうやったらハットリが雀に見えるのかとぼやく少女にルークは肯定の意を示した。  そこで草原の上に座り込み、始まった会話でルークが口を開くことは殆ど無く、せいぜい肯定と否定とたまに辛辣なことを告げるのみであった。ほぼ一方的に少女が喋っていた。穏やかな声音で今日の朝食はあまり美味しくなかっただとか一昨日教官の鬘(かつら)が目の前で落ちてしまってどうしようかと思ったとかそんなくだらない話をしていた。  手持ち無沙汰な様子でたんぽぽの綿毛を摘んで吹く少女の話を聞きながらルークはバッタを捕まえていた。好奇心が芽を出して、左手で背をつかみ脚を一本もいでみれば、他の手足をばたばたと動かして暴れるのでそれに愉快な思いを抱き表情を緩ませれば「どうかした?」と少女が尋ねてきた。  手元を覗いてきたので見せればぎょっとして「解放してあげなよ、可哀想じゃない」と言う。なぜ?と思いながら左手で摘んでいれば肩から降りたハットリがそのバッタをくちばしでつついた。 「こら!ハットリやめなさい!」  慌てながら少女が咎めると少し残念そうにハッは身を引いた。何だか興が冷めて手を離せばぴょんぴょんと跳ねて行ってしまった。それをついつい目で追うと小さな溜め息が降りかかった。それを気に留めず脚を一本もいでもあんなにスピードがでるならあと2本ぐらい大丈夫そうだなと見つめていた。  揺れる葉も見えなくなればルークの関心は手近のダンゴムシの観察に移った。少女は残っていたパン屑を蟻が運ぶのを眺めてながら再度口を開いた。  小一時間ほど経ち、話のネタが尽きたのかしばらく沈黙が広がった時、少女がもう帰ろうと告げた。ルークは「そうだな」と頷き、土のついた手を払いながら立ち上がった。先に歩き出した少女のあとを追う。  しばらく歩けば森を抜け、花壇が並ぶ場所へ出る。さて、塔の中へ入ろうかと花壇の隙間を歩く少女へルークも続いた。  ――日光を浴びる白が視界に入って、ルークは一つの鉢植えの前で足を止めた。  鉢植えには白い何枚もの花弁の中心に太陽を掲げる花が咲いていた。花と言われて思い起こすような花だとルークは思った。似た形状の花を何度も見たことがある。名前は何だったかと思案するルークの後ろからひょこりと顔を出した少女があっと声を上げた。……ちょうどルークが名を思い出した時だった。 「それ、雛菊じゃない?」 「雛菊?デイジーじゃないのか?」 「別名よ。綺麗な花よね……ちょっと手折ったの?可哀想よ」 「……いるか?」  咎めるような声音に、顰蹙を買ってしまったようだと思いながら差し出したのは機嫌を取りたいという打算もあった。だが何よりも、その薄い色の瞳が花びらと重なったからだった。綺麗な花だと細めた瞳に映る色と、日差しにとろける花びらが似ていた。  その行動は間違いではなかったらしい。 「……!やだ、なに?くれるの?ふふっありがとう」  たちまち機嫌よくなり、受け取った花を嬉しそうに指先でくるりくるりと回しながら、少女は口を開いた。 「かわいい花よね、小さくて真っ白で黄色くて……私、白が好きなの」  囁くような声音にルークはふと尋ねた。 「だからハットリ達に餌をやっているのか?」  鳩が嫌いなのに。ハットリや、その傍にいた親鳥たちは皆白かった。尋ねて、そして疑問を抱く。何故白が好きなのかと。  白なんて血が目立つし、すぐに汚れる。暗闇の中でも目立ってしまう。暗殺にもっとも不向きだ。もともと色の好き嫌いが少ないルークも避ける色だ。ハットリは別だが。  そんなルークの考えを知ってか知らずか女は柔らかく微笑んで告げた。あまりに唐突に。 「……いつか、この世界が平和になったらいいのに。平和にできたらいいのに」  心にさざ波が立った。  平和を知らぬはずなのに、まるで平和の象徴のような笑みを浮かべていた。穏やかで、静かで、安らかな。  このグアンハオで育ったはずなのに。自身と同じように。  あとに知ったことだが、彼女は非加盟国の酷い内戦のさなかで赤ん坊にも関わらず覇気を使っていたことでその才能を見出され、CP候補として育てられた。だから、絶対に知っているはずがないのだ。 『平和』を──。 「……そんなことできると本気で思うのか?」  その微笑みがあまりに安寧に満ちていて、だから、こんなことを聞く気も無かったのに思わず尋ねてしまったのだ。 「ええ、そのために私たちはいるのでしょう?それができるようになるために私たちは訓練しているのでしょう?」  さも当然のように少女は答えた。薄い色の髪がふわりと揺れる。陽光に透けるそれを億劫そうに抑えるのとは反対の手で潔癖なほど白い花が天を仰いでいた。  ──ルークの背筋が泡立った。自身と異なる存在に対する漠然とした不気味さを抱いたのだ。    少女を真似るようにしてルークは自由時間、森を散策するようになった。ルークより年上の少女は本格的な教育を施されるようになっていて、自由時間が少なくルークと出会うことは無かった。あのハットリと出会った場所に行き待っていれば出会えるのかもしれないが、そこまでして会いたいとルークは思わなかった。  適度にしなる枝を拾って、ぶんぶんと振り回す。その度に1枚だけついた葉が揺れる。勢いよく振れば枝がぶるるんとしなった。  ピチピチと小鳥の鳴く方へ誘われるように歩いた。  バサッと草木の揺れる音がした。肩を跳ねさせ、振り返る。 「ふふっ何やってるの?」 「……お前こそ、何やってるんだ?」  柔らかな笑い声が耳もとで転がり、何者かと顔を上げればルークへ鳩を寄越した女が木の枝に足をかけてぶら下がってる。  いったい何をやっているのかと怪訝な声音で問えば、にこりと微笑んだ。軽い調子で答える。 「月歩の練習〜」  つまりは月歩を使って木の上に登ったということだろうか。8歳のはずだが、もう六式の三つ目が使えるのかと素直に感心した。 「拾ったの?」  咄嗟に背へ腕を回し、枝を打ち捨てる。  人がいないと思い込みずいぶんと気を緩めていた。子どもっぽいところを見られてしまったと恥ず思いで俯くと笑みの滲んだ吐息が聞こえた。 「今日はシルクハットを被っているのね」 「変か?」 「いいえ、よく似合っている。あなたらしいって感じがするわ……」  どこか遠くを見つめながら語る少女に不可解さを一瞬抱く。 「……帽子のことはいいだろう。いつまでここにいるんだ?」 「今日はもう何もないから、日暮れまでてきとうに散歩する予定だったわ」  そう言いながら少女は座り込んだ。丸い葉が三つ繋がった雑草が群生している場所に。戯れに指先で雑草を摘む姿を見て自分も座り込んだ。ところどころに咲く白い花を彼女は好きなのだろうか。白が好きだと告げた少女は。  「ジャたちがサッカーしてるらしいよ、一緒に遊んできたら?」 少女の言葉を鼻で笑う。座り込んだルークに戸惑っていた少女は何かを探しているかのような手を止め告げてきた。しかし、ルークが嘲るように笑えばまあいいかと呟いて緑を見つめる。  何を探しているのだろうと考えて特に大ぶりの花が視界に入った。その白い花の茎をちぎる。差し出せば戸惑いながらも受け取られた。 「……ありがとう、ルーク。かわいいわね」 「さっきから何を探しているんだ?何か落としたのか?」 「いいえ、四葉のクローバーを探しているの」 「……叶えたい願いでも?」  その言い伝えを聞いたことがあった。おまじないにも満たぬ信憑性の皆無なものだったが。 「うーん、世界平和とか?……もしくは指が治りますよーにって」 「ああ……指の練習中に突き指したと聞いたが。そんなにひどいのか?」 「……うん。結構痛い。大丈夫、心配いらないわ。……ルークは叶えたい願い、ある?」  その時、自分は何と答えたのだろうか。少女の瞳が驚きに包まれ、そして笑ったことだけ覚えていた。  少女との邂逅は増えた。それは食堂で食事をとるとき、訓練のとき、自由時間。何かにつけて少女にルークが近づいたからだ。居場所がわからなくなればたいていは『例の場所』にいたから、探すのは楽だった。  少女はそのことに多少の戸惑いは見せたものの、拒みはせずに「一緒にやろうか」と受け入れた。  少女は頭の出来がそこそこ良いらしく、グアンハオ内でも優秀な成績をとっていた。ゆえに時折、ルークは勉学を師事した。二つ下の問題は簡単なのか、わかりやすくルークに教えた。  どこかマイペースな少女へルークはいつも着いていくばかりだったが、いつからかルークが立ち止まっていれば振り向き、着いてこないの?と言うように首を傾げるようになった。  今日は別のことをしようかと思っていた時に目の前で立ち止まられて、こちらをじっと見つめてくれば何故かわからないが別のことをする気は失せた。ハットリが頭を突いてきたからというのもある。すくすくと成長したハットリは気づけばルークの顔ほどの大きさになっていた。  ――少女は、どこか異質だった。  少女は初めて聞くような曲をたくさん知っており、よく口ずさんでいた。私たちは平和を守るためにいるのだと、いつか世界が平和になってほしいとよく口にしていた。そして、暴力はよくないことだと。  にも関わらず、教官に従順で、武器を手に取り訓練し好成績を残すのでルークは少女をよく分からない人間だと定義づけた。ルークは暴力をよくないことだと思うことはなかったし、世界平和などどうでもよかったから、少女に共感することはなかった。けど、少女と話すのは苦でなかった。  ほんとうに不思議で異質だとはつくづく思ったが。 確かに血の気の多い発言を嗜めたり、物静かに過激な言動をとることもないが、教官に従順に従い、皆の前では平和のためにわれらは武器をとると言うのであった。 「なんで私たちが兵器にならないといけないの!!」 なのにルークの前では一転してそう嘆く少女はのころころと変わる態度を複雑な思いで見つめた。教官に報告する義理も無いので何も言いはしないが。彼女のその性格に戸惑うことは多々あったが、  1年後には少女と共に過ごすのは3日に一度程に落ち着いたが、それでもグアンハオ内では仲の良い方だったと思う。少女はかなり多忙であったし、ルークも1日の殆どが訓練で埋め尽くされていたからだ。    それは確か、ルークが7歳になったばかりの頃のことだ。少女は9歳だった。  ある日、女は酷く教官に叱られていた。何でも授業で不服を唱えたらしい。頬を張られ、昼食のおかず抜きを命じられていた。完全な飯抜きではないあたりに教官の少女への期待が滲んでいた。グアンハオ内で従順であることを求められる10代半ばまでの年頃であるうちでの反抗はルークからしたら愚かとしか言いようがなかったが、なぜそんな真似をしたのかが気になった。だからその日女のすぐ後ろを着いていった。朝と違う服装に今日は訓練はなかったはずだが汚しでもしたのだろうか、などと考えていたが話しかけることはなかった。少女もまたルークへ話しかけることはなかった。少女が立ち止まるとルークも立ち止まった。風の音だけが聞こえる、沈黙が広がった。しばらく無音が続けば耐えきれなくなったように「何?ルーク」と話しかけられ、初めて口を開く。 「何を考えている?」 「え?」  唐突に詰る(なじ)ルークへ呆気に取られた顔を向けた女を訝しくルークは見た。この女はルークの知る限りその腹の内がどうにせよ、教官には従順だったはずだ。精一杯こなしていた。口論に発展し、教官が手を挙げるに及ぶほどの反抗なんて馬鹿な真似、女がなぜしたのか。それを問いたかった。 「昼間のことだ」 「昼間?……ああ」  合点がいった様子で声を出した少女の声はどこか虚ろで、冷ややかだった。 「あなたに言いたくない」  それは明確な拒絶だった。ルークはそれに対して驚いた。今まで女がルークを拒絶したことはなかった。森へついていくようになったときも食事の席で横に座ったときも訓練を傍で見ていたときも。いつだって女は拒まなかった。  どこかで女は自分に心をゆるしているのだと、傲慢な感情を抱いていた。同室の少女達よりルークと共にいる時間の累積の方が長いはずだ。常に傍にいたわけでもないが単独行動を基本好み、誰かと遊ぶことも少ない女にとって自分が最も共にいた人間だろうと思っていた。  だから、何を聞いても拒みはしないだろうと。 「ごめん、ひどい言い方をしたわね」  女はすぐに謝ってきてルークもその謝罪を受け入れたがその日一日中はわだかまりが残り、どこかよそよそしくなってしまった。   「来ていたのか」  少し驚いてルークは言った。昼間、教官に呼び出されたから鳩たちへの食事を託されていた。いつからか鳩への餌やりは当番化されつつあった。基本は眼前で座り込む少女が、少女がキツイ訓練の日や用事のある日はルークが、二人とも用事があったり、暇なときは一緒に空いている時間で。  今日はルークだけのはずだった。いつも通る道にてんてんと、酷くへこんだ足跡を見て、もしやと思わなかったわけではないが。わざわざ剃を使ってまで、鳩や小鳥たちに、会いたかったのだろうか。  ふわり、と鉄錆に似た香りがルークの鼻をくすぐった。赤い紅い香り。それを指摘してしまったことに、深い意味はなかった。  (……なぜ)  女が目の前で泣いていた。慰めるように言葉を紡いでも、少女が反応を返すことはなく。この程度のことで泣くような女ではなかったはずなのに。 「人を殺してはいけないのよ」  少女がぽつりと呟いた。少女の頬を流れる涙が、止まったことにほっとして、言葉を遮らず少女の方をただただ静かに見返していた。 「私たちの仕事は悪なのよ、私たちは政府の闇よ。だから誰にも知られてはいけないなんて言われるの……」 「だが、教官は必要悪だと言っていた。我らの存在が世界の秩序のために欠かせないのだと」 「ええ、ええそうね。だからなにも恥じること無いの、あなたの育ちも、なにも。けれど……」  けれど、人を殺してはいけないの。  それに感銘を受けるとか心を動かされるとかはなかったが、ただ理解と納得を示した。  人を殺すのは本来いけないことなのだと。  それから一年後、ルークは血に塗(まみ)れることになる。  色素の薄い女だった。どこか純朴な雰囲気を纏う少女は華奢で美しく。穏やかな笑みを浮かべることができ、演技も得意であった。  人目を避けて吐くほど嫌なのに、表情一つ変えず人を殺せるぐらいには。彼女の将来の仕事はそれだけで察せられるものだった。  ここにいるべきではない少女だったのだ。彼女はこのままでは確実に不幸になる。それを不幸だと思い、考えることができる少女だから。  グアンハオ(ここ)で育ちながら普通を知り、平和を望みながらも割り切れない。  まともな諜報員になんて、暗殺者になんて、なれるはずがない。まともな諜報員が存在するかは知らないが。  えずき、どこからか持ってきた袋に吐く姿をずっと眺めていた。そういうところ(・・・・・・・)を見られるのが嫌いなのは知っていたが、ルークは目をそらさなかった。  ルークと正反対の女の戦いを、そばで見続けてみたかったのだ。  あらかた吐き出して、ゼーハーと荒い呼吸を繰り返す姿に歩み寄る。顔に触れられるほど近くまで寄った頃には、少女の呼吸は落ち着いてきた。彼女を捜す以前から今日もまた、吐いているのだろうと予測して、水を持ってきていたルークが口元へ差し出すと口元を両手で覆いながら女がこちらを向いた。  戸惑う姿に「ん」と水を差し出せば、条件反射のように少女の瞳に拒絶の色が浮かぶ。 「飲め。そして吐き出せ」  そのことに苛立ち告げれば、おそるおそるといった様子でルークの手から水を受け取った。先ほどまで吐いており、それを拭ったからだろうか、ルークの指に触れぬようにとつま先だけで受け取る姿に、今手を離せば落とすのではないだろうかと疑問を抱く。とはいえ、どうこうする気もないので水袋を掴む手からゆっくりと力を抜いた。   「みっともないところを見せちゃった……」  無事に水を飲み、口を濯いだ少女はしょげたように肩を落とした。 「今更だろう」 「……それもそうだけど」  何度吐く姿を見たと思っていると返せば、少女は拗ねた女の服装は黒い。黒のネクタイにグレーのシャツ。黒のベストと短パン、ジャケット。真っ黒なハイソックスと革靴。今日はCPでの任務があったのだろう。 「白が好きなの」そう言ってへにゃりと笑んだあいつに似つかわしくないと思ってしまったのだった。  小さな溜息が聞こえた。 「早く……平和になればいいのに……」  今にも泣きそうな声音で少女は言った。絞り出すような声音だが緩やかに瞼を伏せた表情は穏やかだった。  だが、開かれた瞼にはどうしようもないような苦しみが満ちていた。  ルークは疑問を抱く。何をそんなに嘆く?何をそんなに苦しむ? ……何に希望をいだいている? どうして、自分と同じ環境にいて、数多の人間を殺めておいて、平和など望める?  白を纏うことができる世界で生きることを、女はいつだって望んでいるようだった。   女はどこまでも異質で。ルーク達と共に暮らす世界を拒んでいた。任務を否定し、教えを否定し、故郷を否定した。  いつだったか女はいつかグアンハオ(ここ)を出ていくと告げていたほどだった。まだ女がCPの任務に参加する前だった。ルークはなぜそんなことを告げられたのかわからなかった。 「ほんとうに逃げ切れると思うか?」 「逃げ切るわよ、なんとしてでも」 問い詰めるようなルートの声音にも臆することなく笑うようにして質問を躱す。 「言って良いのか?」 「何が?」 「おれに……そんなこと」 「あら、告げ口するの?」  可笑しそうに女は言った。 「あなたはしないわ。きっとね。でも、そうね、約束をしましょう」 「約束?」 「ええ、私はいつかここを出ていくわ。必ずね。そのとき、誰にも言わないで。私を追わないで、捕まえようとしないで」 「……」 「その代わり、私はあなたの願いを一つだけ聞くわ」 「なんでも?」 「なんでも」 「……いつかおれに会いに来い」  目を見開いた。そんなことを言われるなどととうてい思っていなかった表情に何だか照れやら気まずさやらが湧いてきて顔を逸らす。 「いいわ、きっとね。いつかこの世界が少しでも平和になったとき、いつかこの世界が"始まった"とき、いつかあなたが"人"に近づいたとき。私はあなたに会いに来る。約束よ」 「……ああ」  差し出された小指に戸惑いながら自身のそれを絡めた。そうすることが正解だと思ったから。女の言う言葉はあまりに支離滅裂でよくわからなかったが、いつか女が出ていったとしても女は自身に会いに来ると、それだけを理解した。 「あなた、自分がなんて呼ばれているか知っている?」  ベッドの脇に腰掛けて女がそんなことを問うてきた。確か、それはルークが500人のを殺し、名を上げたときだ。その任務で怪我したルートの見舞いに女は度々来た。  初めは五百もの兵士を殺したことで顰蹙を買ってしまったようだった。けれど少女は否定しなかった。歪んだ顔で肯定して、それでもと告げたのだ。そうして舌戦の末、女は口を噤んだ。悪びれもしないルークに呆れたのか、諦めたのかわからないが。  その初めに見舞いに来た日、血をもっと見たいのだと告げたルークへ女は呆れたように笑いながら約束を提案したのだった。『平和な世界でなら共にいる』と。 ――いつか世界が平和になったら、ずっとそばにいてあげるわ ――それは約束か? ――……ええ  ハッとシルクハットを差し出しながら女はそう言って、受け取ったルークの指に自身の小指を絡めた。  ルークにとってそれは約束なんて不確かでふわふわと浮わついたものではなく契約だった。悪魔との契約のような強制力と恐ろしさを少女が抱いてればいいと、本気で期待したのだ。 「おれが何と呼ばれていると言うんだ?」 「殺戮兵器よ」  苛立ちを隠しもしないで反吐が出るわと告げた。何にそんなに苛立っているのかルークには理解できなかったが、少女の"おかしさ"に慣れていたルークは嘲りの混ざった笑みを浮かべるだけだった。 「だから何だ?おれは強い。世界政府の兵器としてもってこいだろう」  いっそ誇りの滲むような声音に女は顔をしかめた。その眼差しがひどく恨めしそうで、何かあったのかとここ最近の女の様子を思い出していた。ぎゅっと口をつぐんでいた女が再び口を開いた。淡々とした声音で。 「そうね、強くおなり。そうすればその強さがあなたを肯定してくれる」  そうだろう、と聞くルークにけれどと女は続けた。 「いつかあなたのその顔に、刻まれた余裕が崩れることを願っている。そうしたらその時あなたはきっと──」  ──兵器なんかじゃなくなるわ  そう言って女は瞳を閉じた。予言めいたその言葉はひどく不吉で。自身の敗北を望む姿に苛立ちを抱いたのだ。  身体の頑丈なルークは重傷を負ったにも関わらずそれから数ヶ月でほとんどの傷が治り、完治までグアムで過ごすことになった。そして完治後、CPに所属し、司法のへ越すことが決まった。その話を女にすれば感慨深そうに目を細めた。  「あなたも、そろそろここを出ていくのね……そして一生をCP9として捧げる……」 「……何を言っている?お前もだろう……?」 訝しむ。確か女もCP9に入るよう命令されていたし、既に司法の塔へ部屋を与えられていた。 「私はCP9になんて入らない。……確かにそろそろここを出るつもりだけど」 「……本気だったんだな。まだ諦めてなかったのか……?」  女がいつか出ていくと告げてからそろそろ5年が経つ。ルークはすっかり忘れていたほどだ。    無能ではなかった。だが、ルークのように化け物のごとく強いわけではなかった。  だから、この結末は予測できぬことではなかった。  任務先で酷い火災が起こり、炎に巻かれたのだと、教官が言った。  そんなわけないとルークは鼻で笑った。知っていた。そんなわけないことを。……きっとあの女は自らの意思で消えたのだ。 ──おわかれだよ、  あの女は確かにそう、任務の前日の晩に告げたのだ。  今まで見てきた中でいっとう綺麗な笑みだった。  儚さを孕んだその表情は今にも消えそうで。  もしかしたらあの女はたとえ死ぬとしてもその言葉を実現するためだけに、炎に巻かれたのかと疑うほどであった。  そんなことあり得るはずがないのだが。  彼女の死は確定したものではなかった。すぐに撤退する必要があり、誰もその死を確認していないのだ。賊どもの死体に紛れたであろう彼女にカリファは涙していた。  ルークは待った。傷が完治してからもグアム2いた。けれど一年もしないうちにグアムを出ていくことになった。

どうでもいい花言葉たち

雛菊(デイジー):「平和」
シロツメクサ:「約束」
クローバー:一つ「困難に打ち勝つ」「初恋」
     二つ「平和」「調和」「素敵な出会い」
     三つ「愛」「希望」「信頼・信仰」
     四つ「幸運」「真の愛」「私のものになって」
     五つ「財産」「財運」「豊かさ」
     六つ